覚悟はいいか

俺はできてる

働いてない日記

働きたくない日記を投稿してから半年以上。

昨年末に一つの仕事を終えて以降、仕事のお声かけを蹴りまくり、最低のやり方でフェードアウトしてフリーター生活を送っている。

 大学の同期はみんな立派に社会人として働いている。同居人もハードな仕事を立派にこなしている。

自分はといえばクソみたいに甘ったれた環境でクソみたいな生活を送る日々。

フリーランスとして働いていたころに燃やした自主制作への意欲は立ち消えぬるぬると毎日を消費するのみ。

際限なく見つかる自分の欠点に、もはやさまざまなことをあきらめ始めている。

にもかかわらず、お金も意欲もないゴミのような人間に生きている価値があるのだろうかと感じながら、自分の理想の姿を描くことが止められない。

前職の現場で働く姿、学生時代にあこがれた文筆業、あのころのように作品を制作する自分、趣味にかける時間とお金を手にするために職をこなすOL。

今日はバイトを休んで昼間に映画を見に行った。隣の席に座る男性を心の中で罵倒した。

現状に危機感や罪悪感を感じながらも自ら動くことをせず、クソみたいな生活を続けるゴミのような人間。誰かがきっと自分を変えてくれるとどこかで考えているのだ。

このままでは後悔する時が必ず来ると、これまでの人生で何度も学んでいるのにいったいなぜこうも変わることができないのか。

ただ家族にだけは迷惑をかけずに生きていきたい。

働きたくない日記

人生で最も楽しく充実した時間だったであろう四年間が過ぎ、晴れて社会人の一員となった今年の春。

超が付くほど大好きな家族と離れて東京での生活がはじまった。

大学在学中の四年間遠してアマチュアとして携わった少し特殊な職に、フリーランスという形でなった。

学生時代は大好きだったことも、仕事になり、社会的な責任や、義務といった要素が加わったことでどんどん嫌いになってきた。

さらに仕事に関わるものまでも、仕事を思い出して不快な、不安な気持ちになってしまうせいで遠のいてきた。

なぜこんなにも働きたくないのか。

今の職が悪いのだろうか。

いや違う。おそらく自分は根本的に、働くということが嫌いなのである。

高校、大学時代のアルバイト時代から、働かせてもらっている、という意識が希薄だった。働いてやっている。という感覚だったように思う。何様である。

責任感や使命感といった社会に出るにあたって必要な感覚がごっそり抜けおちている。

24時間全部自分の時間のはずなのに、その時間を割いている。割いた分のお金はもらえて当然、でも責任感とかないので常に意識は別の世界、仕事は最低限のことしかできない。ミスも多い。物覚えも要領も悪い。

社会人という立場になり、これではまずいと思ったので、責任というものを意識しながら動くようにしようとしたのだが、 人間急には変われないもので、まったくと言っていいほど進歩しない。

経験したことから先のことを考えて、ということができない。脳の要領が少ないに違いない。すぐにあわててどんどんミスを重ねていく。集中集中、と頭を働かせながら動こうとするのだが、意識しても意識しても頭の中は別の世界で埋まっていく。そして言われたことに対応できず、また焦り、ミスをする。

自分はほかの人と比べると要領が悪いと感じることが常々あったが、それがさらに顕著に現れだした。

それに加えての働きたくない精神である。もうどうしようもない。

趣味はクズのような人間に金銭的支援をし、堕落に堕落を重ねさせることである、とかいうお金を持ちすぎて頭のネジが一本外れてしまったどこかの大富豪が現れてくれるのを待ち望みながら失敗を積み重ねる日々を送っている。